7500形の終焉




7500形  







小学生の頃は、この都電の線路わき(現在は車道になっています)でローラースケートでよく遊んでいました。
ある日、ローラースケートで遊んでいると、都電の写真を撮っていた人から「都電の横でローラースケートをしてくれないか」
と言われて、都電がくると都電の横ををローラースケートですべっていました。撮影が終わると、
「出来上がった写真をあげるので、またこの場所に来てくれないか」といわれたので、「うん」と言ったものの、
小学生であったボク達は、写真がもらえる約束の日を忘れてしまい、結局誰も写真をもらえませんでした。
約束の日に写真を持って、待っていてくれた方がいたかと思うと今でも反省してしまいます。
でも、そういうことをしてしまうのが小学生だと思うので、その方も許してくれていたことでしょう。




3月11日に発生した東日本大震災の影響で、7500形のイベント(撮影会)は中止となりました。
地震発生時は海浜幕張のビルの6階食堂で打合せをしていましたが、震度5強の地震は初めての経験でした。
しばらくはイスに座っていましたが、だんだん揺れが大きくなり、みんなでテーブルの下へ入りました。
通勤で使用していた京成やJRは止まっていたので、夜9時に自宅まで歩いて帰ることにしました。自宅まで30.2キロ。
ビルをでるときには、住所・氏名を台帳に記入し、カンパンとペットボトルを受け取りいざ出発。
海浜幕張から東京方面は車が渋滞しておりほとんど動いておらず、移動手段としては徒歩の方が断然早かったです。
また海浜幕張は埋め立て地のため、液状化現象があちこちで見かけられました。
船橋には22:30に到着し、「なか卯」で親子丼を注文したところ、30分かかると言われました。
かつ丼を注文していた他のお客さんに対しては「タマネギがありませんが・・・」と店員さんが説明しており、お店側も混乱していました。
23:00過ぎにお店を出て、また東京方面へ向かってひたすらあるいていると、地下鉄、本八幡駅の出入口から大勢の人が出てきていたので、
地下鉄が動いていることを知りました。改札に向かうと本八幡駅で都心への折り返し運転をしていたので、急いでホームへ行くと
ちょうど電車が発車するところでした。都営地下鉄新宿線で本八幡駅→九段下駅まで移動し、九段には1:00頃到着。
タクシーで自宅に帰ろうと思いましたが、深夜にもかかわらず都内も大渋滞で、地下鉄も動いてはいるものの、電車がいつくるのか
わからない状態でしたので、九段から自宅へ向かって、また歩き始めました。後楽園まで歩いたところで、ヒザに痛みがでてきましたが、
そのまま無理して歩いているとヒザの痛みがひどくなり、自宅付近に近づくにつれヨタヨタ歩きになりました。
その後なんとか3時過ぎに自宅へ到着し、御飯を食べて4時過ぎにお風呂場へ向かう時にはヒザが痛く、杖がないと歩けない状態でした。
この日、海浜幕張→本八幡、九段→自宅まで、徒歩で歩いた距離は21キロでした。




撮影会は中止されましたが、写真撮影用の7520は展示されていました。この7520は除籍車輌のため運用から外れています。)

運用中最後の撮影はこの写真です。


荒川車庫に留置されているのは「7505,7511,7512,7520」 (この他に花電車用に「花100」)

トップページへ戻る